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2006年11月 8日 (水)

「ジョアン・ジルベルトという人」

僕の人生に間違いなく影響を与えた人です。

初日の11/4(土)東京国際フォーラム、僕はその最前列にいました。

3回目の来日で、「最後の奇跡」と銘打たれた今回のツアー。

きっと年齢的にも、日本で最後のコンサートだと思います。

ライブって、自分が演奏する分には全然問題ないんですが、

実はちょっぴり億劫なんですよ。

知人に会ってしまったり、周りの会話や雑音が耳に入ってしまったりして…。

だから、ライブ盤を家で一人で聴くのが好き、なんて公言しています(笑)。

ただ、今回は違いました。

ジョアンと僕の間の空間には、もう何もありません。

そして、信じられないことが起こりました。

僕とジョアンは目で会話してしまったのです(おいおい、笑)。

彼こそが、ボサノバの神様、ボッサそのもの。

Photo_25 ←そのチケットです!!

===

東京国際フォーラムの1列目32番。

センターよりも、一つだけ下手よりの席だ。

ヤバイな、って僕は心の中で呟いていた。

だってジョアンは右利きだから、ギター弾きは正面より右に体が向くんだ。

色んな人が、“ジョアンが自分の為に歌ってくれているような”

と感想を述べているけれども、今回は僕が完全にそれだ。

体の向きから何まで、もうシチュエーションは最高な訳である。

開演時間を過ぎても、ジョアンはまだ会場入りしていない。

アーティストの到着が遅れています、的なアナウンスが場内に流れる。

お客さんは慣れたもので、あたたかい笑いが起こる。

僕は中止になってしまわないかと、冷や冷やもんである。

当然、開始まで時間が出来たということなので、飲み物を買いにロビーへ。

すると突然、“あれっ、山崎さん、どうして?”と知らない女性に話しかけられた。

人間というのは不思議なもので、僕はほんの一瞬だけではあるけれども、

山崎さんとして人生を過ごしてきたかのような錯覚に陥った。

単純には人違いだったんだけれど、そんなことで揺らぐ“中井さんの人生”って薄いなぁ、とつくづく考えては悲しくなってしまう。

ホットコーヒーを飲んでいると、発見してしまった。

やはり、知っている人に会ってしまったのだ。

相手は気が付いていないから、こちらも気が付かなかったことにすればいいのだけれど、

それでは何か自分の中に敗北感を感じる、そんな損な性質(たち)なのだ。

“どうも、仁さん、こんにちは。”

二人、しばらく沈黙。

ひ、人違いだった!

顔から火が出るくらい恥ずかしい、とはこのことだな、うん。

ま、後で本当に仁さんという人に会って挨拶もしたので、ご心配なく。

中原仁さんは日本とブラジルを繋ぐ橋のような人物だ。

ブラジル音楽ファンなら誰もが目にしたことがある名前だろう。

僕の青春は、ピーター・バラカンさんやチチ松村さん、そして彼の文章に影響された。

尊敬すべき対象の大人、そんな感じの人。

大阪弁で言うと“エエもんの大人”である。

ご本人を目の前にすると、未だに緊張して上手く喋れないけれども。

アーティストがホテルを出発しました、というアナウンスに場内は盛り上がる。

そこで初めて、舞台にマイクやイスがセッティングされ始める。

そう、リハーサルやサウンドチェックもないのだ。

もう何回も、この同じ会場で演奏しているから問題はないけれど。

暗転。

舞台中央に蒼白いスポット。

おもむろに、あまりにも自然に、ジョアンは現れた。

イスに座り、ギターを構えて、こう呟いた。

「コンバンハ…、ゴメンナサイ。」

あぁ、ジョアンが謝った~っ!!!

待たせてしまってゴメンナサイ、ということなのだろう。

そこからはまるで、幻覚でも見ているかのような絵画的な演奏が、

枯渇することのない湧き水の如く、会場を満たしてゆく。

ジョアンの瑞々しい音符たちに、5000人が水没してしまったのだ。

具体的に言うと、ジョアン・ジルベルトの方法論というのは、

弾かなくても聴こえている音、聴こえるであろう音を最小限に押さえるものだ。

骨格や基礎になる部分をomit(省く)していく作業だ。

引き算の美学とでもいう感じかな。

少し専門的に書かせてもらう。

それは、なるべくルート音を避けて、6弦でベース音(サンバでいうスルドの感じ)

を弾こうとする傾向に読み取れる。

それは、トップノートのテンションを、管や弦のラインのように動かすことで、

オーケストレーションを再現する意識に読み取れる。

そしてそれは、サンバ・カンサォンをミニマムに表現しようとするものに他ならない。

その証拠に、歌のストレートメロディーは殆んどフェイクしない。

昔の流行歌や伝統的なメロディーに敬意を表した上の解釈なんだ。

多人数で演奏されることが多く、派手で賑やかな印象のサンバを、

ギターと歌という最小限で表現するジョアンの奏法は、あまりにも知的で芸術的だ。

例えば、これは箱庭や盆栽や茶道や落語etcにも通じるかもしれない。

ミニマムに表現することで、実際以上の美を凝縮して伝えることが出来るし、

背景も役者も小道具もなしで、まるで映画のように伝えることも出来る。

もちろん、受け手がその“イメージの共有”を出来ればの話だけれども。

昔のダウンタウンの漫才のネタで、“カモシカのような足って言うけど、それも言うなら、

カモシカの足のような足やろう“って松本が指摘する場面があった。

一流アスリートの太ももに、カモシカの顔面をイメージ出来た人だけが笑えるという、

いわゆるシュールな笑いなんだけれども、ジョアンもこういうことなんだ、と思う。

ジョアン・ジルベルトのオリジナル曲というのは、実は少ない。

それはジョアンが、周知の曲をまったく新しい形で聴かせられる、その天才だからだ。

スティービー・ワンダーやジョン・レノンが天才というのとは違う。

洗練されたメロディーを作曲したり、説得力のある言葉を綴る天才ではない。

その卓越した比類なきギター奏法と、恐ろしく音程のよい歌唱にジョアンの魅力はある。

ジョアンが同じ歌を何コーラスも繰り返す時、毎コーラス違う色彩で仕上げる。

その一曲中のグラデーションの美しさは、聴き手が原曲を熟知している程に愉しめる。

このコラムを書きながら僕は、ジョアンはライブが一番良い、という結論に達した。

それは彼が演奏家として天才だからに他ならない。

もう何曲演奏してくれたのだろう。

曲が終わり、ジョアンが立ち上がってお辞儀をする。

頭を上げた瞬間、ジョアンと僕の目が合った。

一瞬の間に、え、あれ、君はもしかすると?みたいな空気が流れた気がした。

ひ、人違いだった?!

そんな訳はないやろうけど(笑)

※のマドHP「なごみの手帖」より転載しました。

(Nakai)

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コメント

こんばんは。
ワタシも初日&最終日に行って来ました。
素晴らしかったですね。
感動で涙が出ました。
ワタシも1人で聴くのが結構好きです。
最前列で目で会話なんて、
あぁ素敵すぎます♪

最後の奇蹟・・・と言いつつ、
2歳のお子さんがいらっしゃるなんて
ジョアン様もまだまだパワフル。
きっと来年も・・・
と期待しちゃいます(^^)

・・・私も、一人で聴くのが好きです。あぁぁ~中井さんが羨ましいぃ~!
(Keiko)

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